単訳書『デジタルの皇帝たち プラットフォームが国家を超えるとき』(原題CLOUD EMPIRES: How Digital Platforms Are Overtaking the State and How We Can Regain Control、ヴィリ・レードンヴィルタ著、みすず書房)が8月16日に刊行される。
本書は、デジタル労働市場の分析で高い評価を受ける経済社会学者、ヴィリ・レードンヴィルタの2冊目の邦訳書となる。(前作は共著『仮想経済のビジネスデザイン』(エドワード・カストロノヴァと共著、井川歩美訳、サイゾー、2020)。)
著者は、デジタルプラットフォームをひとつの制度(インスティテューション)とみなし、経済(第Ⅰ部)、政治(第Ⅱ部)、社会福祉(第Ⅲ部)の理論で分析する。個人の自由を奪い市民を束縛する国家から離れて、自由を求めて生まれたサイバースペースが、デジタルプラットフォームの登場と拡大により、しだいに巨大テック企業が操作する空間へと変化していった。デジタルプラットフォームは、いまや私たちの社会生活を支える公共インフラである。その社会空間が、一部の巨大テック企業の経営者ら(皇帝たち)に支配され、私たちは皇帝たちが作るルールに従うよう強いられている。
デジタルプラットフォームなしの生活は考えられなくなったが、一方的にルールを押しつけられ、ユーザーが言いなりになり、搾取されるままでいいのだろうか。国民が国家によりよい政治や政策を要求するのと同じで、デジタルプラットフォームのユーザーもテック企業に声を届け、ルール策定にユーザーの声を反映させる仕組み作りが必要ではないか。著者はこう問題提起する。
本書を読めば、個々のデジタルプラットフォームの特徴やその功罪が概観できる。初めて評価システムを取り入れたのがオークションサイトのイーベイだったこと、匿名の麻薬プラットフォームでのトラブルが請負殺人にまで発展したこと、労働市場プラットフォームのアップワークが史上初めて全世界共通の最低賃金を導入したこと、ウーバーなどの市場を操作するのは神の手ではなく、アルゴリズムを操作するテック企業の手であり、ソ連の計画経済と大差ないこと、仮想通貨のブロックチェーンのしくみは古代のアテネ民主政と類似していること――。どの章を読んでも、目からうろこの情報がある。
なかでも個人的に印象に残ったのは、9章、10章の、コレクティブアクションに関する章だ。9章では、アマゾン専用のギグワークプラットフォーム「メカニカルターク」のワーカーが、アマゾンに対して制度改善を求めてキャンペーンを起こすが失敗に終わったことが描かれる。10章では、アプリ開発者が、アップルストアの方針改訂に抗議するキャンペーンを起こし、見事成功を収めたことが描かれる。この成否を分けたのは、政治的キャンペーンに参加できるぐらいのリソース(資金、人脈、セーフティーネット)があるかどうかだった。その日の出来高報酬を1セントでも多く稼ぐことに必死になっているギグワーカーにとっては、目先の生計を立てるのが精いっぱいで、長期的にメリットがあるとわかっていても、仕事以外の活動には心身を捧げられない。フリーランスの私も、数カ月先の仕事のめどがたたず、毎日の日銭を積み上げることで何とか精神を保っているときがある。政治や身の回りのことで不満があっても、デモに行く余裕もない。世界に散らばるギグワーカーに共感した瞬間だった。
今のデジタルプラットフォームの興隆は、メカニカルタークなどで活動するギグワーカーを搾取することで成り立っているという現実も突き付けられる。私も、アマゾンやキャッシュレス決済のプラットフォームはついつい便利で毎日といっていいほど活用している。だが、そうした経済活動から実際に恩恵を受けているのはデジタルプラットフォーム企業であり、本の作者や出版社、買い物をする商店の利益が吸い取られているのかもしれない。本書を読めば、身近なデジタルプラットフォームへの見方や毎日の消費行動が変わるのではないだろうか。(現に、私は本ウェブページやSNSで宣伝するときに、アマゾンのリンクを貼るのを躊躇し、代わりに版元のリンクを貼るようになった。)
訳者として、本書は初の単訳書だった。結論でこれまでの章の分析をすべて回収し、持論をぶつけるという論展開の面白さにしびれたのは、一冊まるまる担当できたからこそだと思う。私は訳す際には、通し読みをせずに、読みながら訳している。訳しながら、終盤に近付くにつれ、点と点がつながる感覚があった。読者の方にも、同じような感覚を味わっていただけると嬉しい。
テック企業やテクノロジーに興味がある方も、政治経済理論に興味がある方も、楽しんでいただける一冊だ。書店で見かけたらぜひお手に取っていただきたい。
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