鳥山純子著『「私らしさ」の民族誌―現代エジプトの女性、格差、欲望』春風社、2022年

徹底的に個と向き合い、己と向き合う
私らしさの民族誌

2007年から2008年にかけてエジプト・カイロで私立のアメリカン・ディプロマ校(A校)で教員として働いた著者が、同校で働く3人の女性の「私らしさ」を民族誌として描く本書。シャイマは高学歴でまじめな、優等生教員。サラは上流中産階級出身で、子育ての合間に何かしたいと教員になった、マイペースすぎるマダム。リハームは古き良きエジプトの再興を目論むA校の校長。圧倒的権力を持ち、著者含め、誰もが自分の意見を言う隙もなく彼女の展開に飲み込まれてしまう。

著者は、徹底して「人」と向き合う。著者が語るのは、テーマやトピックではなく、著者自身が対峙し、直接苦楽をともにした「個人」の語りである。「泥試合」とまでいう日々の対峙により、エジプトに生きる3人の女性の「私らしさ」について、自分語りをパフォーマティブな自己成型プロセスとして考察する。このアプローチに到達するまでの著者の苦しみも赤裸々につづられており、研究者としての悩みや葛藤がありありと伝わってくる。

「エジプト」の「女性」を対象とした研究をするとなると、ほぼ自動的に中東、イスラーム、ジェンダー、フェミニズム、貧困・階級、強権社会、、などといったトピックや研究領域が出現するだろう。そのうえで、自ら設定したテーマをいかに論じるか。著者は「人」を扱うことに徹し、そうしたトピックのフィルターをできる限り払拭したいと考えたように思う。著書で扱われた3人の女性の語り・経験は個人的なものだが、それらを”研究”に押し上げるのにはかなり苦労したのではないだろうか。

3人の中で私がいちばん興味を持ったのは、サラだ。行動に脈絡がなく、いったい何がしたいのか、教育者としてそれはどうなんだ?と言いたくなるような振る舞いをする彼女。周りの教員も困惑し、距離を置く。でも、「そういう人いるよね」と、どこかで共感してしまう、「こじらせ女子」なのだ。「エジプト人でもそうなんだ」という感想を持った瞬間、私自身が「エジプト人は、こうだ」という固定観念をもってサラを見つめていたことに気づく。「人」を見つめようと頭でわかっていても、無意識のうちにエジプト人をフィルター越しに見ていたのだ。

私自身、通算3年間エジプトに暮らした経験がある。そのうち2年は、主に女性を対象とした活動を行っていた。彼女たちの考えや生活のあり方を知ろうとし、自身が知らず知らずのうちに抱いていたステレオタイプを破壊される毎日だった。そうした、現実と一般的に思われていること(ステレオタイプ)とのギャップを埋めたい、もっといろんな人に知ってほしいという欲求があったが、それがうまく言語化・構造化できず、研究の道を挫折した。今、著者の示す民族誌的アプローチを知っていたなら、そしてそれがうまく活用できるなら、あの日一緒に過ごした砂漠のオアシスの女性たちをもう一度見つめなおしたいと思う。


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